English

MIRAIT ONE GROUP

国際航業の歴史

航空写真測量のパイオニアとして
スタート

航空機とステレオプラニグラフの写真
左:ビーチクラフト式B50型[JA-5013号機](航空機)
右:ステレオプラニグラフC8

当社の設立の歴史は、1928(昭和3)年に設立した日本の民間航空会社の草分け、日本航空輸送株式会社(昭和14年、大日本航空株式会社と改称)まで遡ることになります。同社は、終戦によって事業継続が不可能となり、分割されることになりましたが、その一部を継承し、設立されたのが、当社の前身である三路興業株式会社(のちに国際不動産株式会社に改称)です。

三路興業は、飛行場用地や格納庫などの不動産管理をする会社としてスタートしました。一方、航空写真測量技術は戦前から軍や政府において研究と実用化が進められていましたが、終戦とともに軍は解体され、武器解除の対象となった航空写真測量用機材はことごとく連合国軍により接収、廃棄処分されました。しかし、戦災復興ならびに経済再建には測量が不可欠であったため、このことに注目した三路興業は、1949(昭和24)年、日本の航空写真測量のパイオニアとなる日本航測株式会社を設立、荒れ果てた国土の再建に乗り出しました。

同社は順調に規模を拡大、1954(昭和29)年には資本の強化と業務領域の拡大を図るため、国際不動産と合併して商号を変更し、現在に至る国際航業株式会社が誕生しました。
合併後、新会社は航空写真測量事業を積極的に推進しました。海外の最新鋭機器の導入、「国際航業型空中三角測量方式」といった新技術を開発するなど、航空写真測量業としての技術基盤を強固なものにしていきました。

総合建設コンサルタントへ事業を拡大

製図や海洋水深測量、地質課の作業の様子の写真
左:製図室の様子 右上:海洋水深測量作業 
右下:地質課作業の様子

「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代に入り、新長期経済計画が発表され、我が国は復興期から成長期へと移行しました。当社は東海道新幹線、東名高速道路などのインフラ整備や1960(昭和35)年から始まった国土基本図作成事業を受注、事業規模が一層拡大しました。
そこで1958(昭和33)年に東京都千代田区に市ヶ谷本社を建設、生産体制の拡充を図ったほか、我が国初の電子計算機による空中三角測量解析を開発して、需要に応えました。当時当社は業界で最も早くコンピュータを活用し、生産の自動化やシステム化を推進していました。また、西日本のニーズにも応えるため、1962(昭和37)年には、大阪支店・宝塚測量所を設立、全国展開の足がかりとしました。

昭和30年代に推進された我が国の相次ぐ大型プロジェクトにともない、地質調査、土木・建設コンサルタント等のニーズが生まれ、当社も昭和30年代後半からこれらの分野へ参入を果たすこととなります。1962(昭和37)年には建設コンサルタント部門を設立し、その後「道路の国際」と言われるほど業界でも抜きん出た存在となりました。また、同年に設立された地質課では、「写真判読技術」を利用した砂防調査や地質学的な見地による地下水・地盤沈下調査などの当社独自の技術の提供により、多方面から注目を集めるほどの存在になりました。
一方、海洋分野においては1959(昭和34)年に海洋調査用電波測距儀、1964(昭和39)年に海底地層探査機を導入し、参入に向けた基盤づくりを行いました。
こうして同年、建設コンサルタント登録規定の制定と同時に、鋼構造およびコンクリート、港湾および空港、道路、上水道および工業用水道、地質、都市計画および地方計画の6部門で登録を申請し、建設コンサルタントの基礎を確立しました。

組織、設備を大幅に増強

解析図化機や平板測量の作業写真
左:解析図化機プラニコンプC-100 
右:1970年北九州市小倉駅構内での平板測量

昭和30年代後半、航空測量業界は競合会社の乱立に加え、公共投資抑制の影響により景気後退局面を迎えました。その中で当社は組織や社内管理体制の合理化に取り組み、企業体質の強化に務めました。そして、景気回復局面となった1966年(昭和41年)から再び拡大路線へと転じ、拠点体制の確立や設備投資などの施策を次々に実施しました。

最初に着手したのは営業網の全国拡大で、1970(昭和45)年に仙台支店、1971(昭和46)年に福岡支店を開設、それぞれが技術部門を併設する全国4拠点体制を確立しました。続いて分野ごとの強化を行い、航空写真測量以外の事業のテコ入れが行われました。1974(昭和49)年に設立した国際協力事業団(現・国際協力機構(JICA))から各国の基本図作成の発注を受け、当社が地図づくりという本業で政府開発援助(ODA)業務の地盤を固めたのもこの時期でした。社内においては、受注量の増加に対応できるように、従業員を増員して1000名体制とするほか、大型図化機やメインフレームなどの最新設備を備えた当時世界でも有数の技術センターと言われた日野技術所を設立するなど、設備投資を積極的に行いました。さらに共立航空撮影株式会社(同業3社による共同出資)等の関連会社を発足させ、生産体制の強化を図りました。

道路台帳で売上を伸長

独自開発のマッピングシステムや、ギニアでのプロジェクトの様子の写真
左:国際航業が独自で開発したマッピングシステム(VAX11/750)
右:ギニア国横断鉄道プロジェクトの開始

1970年代に直面したオイルショックによる不況時を乗り越えた当社は、新しい時代に対応すべく、コンピュータを利用した商品の開発志向を強めていきました。
1978(昭和53)年、国内初のコンピュータマッピングシステム「CGIシステム(解析図化機-CGI-自動製図機)」を導入、大幅な作業の合理化を実現しました。これが当社のデジタルマッピングへの第一歩となり、ここから建設省(現、国土交通省)、ガス会社、電力会社、自治体などに対するインフラ維持管理に関する支援業務を手掛けることとなります。

また社内施策として、人材育成のための研修体制や組織の整備が行われました。さらに1980(昭和55)年には、4つの事業拠点を東京本社・東北本社・関西本社・九州本社と改称し、中央集権型から地域重視の体制へと変革しました。これによって当社は時の「道路台帳ブーム」を捉え、大きく業績を伸ばしました。

計測から解析、解析結果の利活用へ

路面性状計測車両やデジタル航空カメラの写真
左:ロードマン(路面性状計測車) 
右:DMC-C208(デジタル航空カメラ)

当社は1980頃からオルソフォト(正射投影画像)を用いた地形解析をはじめ、さまざまな解析業務を手がけるようになり、防災や環境保全などの分野で多くの成果を上げました。特にレーザスキャナによる数値標高モデル(DEM: Digital Elevation Model)はコンピュータとの親和性が高く、より一層高度な解析結果を取得できるようになりました。
また、1980年代中頃からGIS(Geographic Information System:地理情報システム)に注力、1990年頃から行政業務総合支援システム「Genavisシリーズ」や法人向けマーケティングGIS「EarthFinder」等の地理情報システムを開発し、世に送りだしました。
データ取得の手法もニーズの変化に従って多様化が進み、MMS(Mobile Measurement System)、GPS/GNSS、人工衛星、UAV、ナローマルチビーム測深機、デジタル航空カメラ(DMC)などの最新機材を積極的に取り入れました。
これら解析技術の高度化、GIS開発、データのデジタル化によって、当社は「はかる」業務から、データの取得・解析、解析結果の利活用などの業務へと業容を拡大していくことになりました。

持続可能な社会づくりを目指す

ノキシタのイベントの様子や、リアルタイム津波浸水被害計測システムの画面(Tsunami Inundation-Overlook from Prefectural Office- After the Quake 00:45:46)の画像
左:共生型複合施設「ノキシタ」 
右:リアルタイム津波浸水被害推計システム

2011年3月11日に発生した東日本大震災の復旧・復興事業をきっかけに、「持続可能な社会づくり」にアプローチする取り組みを積極的に行いました。
さらに当社はSDGs(Sustainable Development Goals)達成への貢献を経営戦略に組み込み、ミッション「空間情報で未来に引き継ぐ世界をつくる」、2030ビジョン「情報をつなげる力で、人・社会・地球の未来をデザインする」を制定し、経営の根幹としました。

これらミッション・ビジョンを踏まえ、我が国の課題であるデジタルトランスフォーメーション(DX)、グリーントランスフォーメーション(GX)に取り組むべく、ICT、IoT 、AI 技術を用いたサービスの提供にも力を入れています。自社においては、脱炭素社会の実現と気候変動リスクにレジリエントな社会の構築を目指し、2050年排出量実質ゼロの長期目標を掲げ、SBTi の認定を受けた温室効果ガス削減目標(2030年度)達成に向けた取り組みをスタートさせています。

国際航業は、経験と実績に裏打ちされた技術の深化と新たな技術の探索を進め、位置と情報を組み合わせる空間情報の利活用を軸としたソリューションの提供を通じて、今と未来の人々の暮らしを支え続けます。

動画でみる国際航業の歴史